Books Review No.124 日はまた沈む

日はまた沈む ビルエモット著 草思社


日はまた沈む―ジャパン・パワーの限界

日はまた沈む―ジャパン・パワーの限界


僕は日経をやめました(英文誌weekly nikkeiと英economist誌を読んでいます。出張が多いので週刊誌にしました。)それで、今、確信しています。


日経を読んでいると世界を見誤ります。(これはブラウザの使用言語を日本語にしてヤフージャパンのニュースをトップにしている人もそうです。)


これは日本経済新聞という企業の体質問題なので、記事内容や記者を批判するわけではありません。


ですが、日本経済新聞(をはじめとする日本のメディア)読んでいると世界変化のスピード感がわかりません。


情報源が一つのメディアだけになり、それに何の疑いを持たなくなると人は、考えることを放棄してしまう。


日本人は自分の頭で考えることを放棄してしまっている。それが問題を先延ばしにしてきた。


バブル崩壊を予言した20年前のビルエモット氏の名著、『日はまた沈む』から、(今更ながらですが、この本は読んだほうがいいですよ。現在の問題も言い当てられています。)


20年前の本です。


二章、消費の国から。


『日本人はワーカホリックで消費より貯蓄を好み、遊ぶ暇などほとんどない。』確かに工場労働者は有能で仕事熱心だが、これは労働人口の大部分を占めているホワイトカラーには必ずしも当てはまらない。それらのいわゆるサラリーマンが長時間働くとすれば、同僚の目を気にしたり、惰性で居残っているためである。彼らは七時間から八時間で何とかやってしまえる仕事を10時間かけてやっている。


新人類から


最も大きな変化は日本の若者の中からあたらしい意識を持つ人々が登場してきたことだ。今の二十歳から三十歳(つまり今の40−50歳)までの人たちは、恵まれた環境に育ち、両親から大いに甘やかされ、生活に関するほとんどの事柄をテレビから学んだ最初の世代である。消費、借金、貯蓄、余暇、仕事に関する彼らの感覚は親の世代のそれとはまるで違っている。とりわけ彼らが、望んでいるのは人生を楽しむことである。日本では、彼らのことを新人類とよんでいる。(中略)今の若者にはまったくすごみがないのだ。


20年前ですよ。


四章、年金生活者の国から


日本とその社会、そして日本の消費市場に生じつつある変化の多くは、実際目覚ましいものである。しかし、最も根本的な変化はまだ始まったばかりだ。とはいえ、それについて、日本では以前からおりに触れて語られてきたため、今では退屈な話題として片付けられがちである。その退屈な話題とは、日本が老いつつあるということ。つまり若年層の多さで世界有数の地位を誇ってきた日本が、世界有数の老人国になるという問題である。


(中略)2010年には事情が変わるのではないだろうか?日本はその重荷のために停滞するのではないだろうか?それどころか、日本は年金をもれなく支払おうとして破産するのではないだろうか?(この問いはこの後著者自身が否定しますが)


(中略)2000年の日本では、年齢よりも能力に応じて給与を受け取る労働者が増えるとともに、パートで働く人や65歳まで仕事を続ける人も増えていくだろう。


きりがない。最後に10章、気の進まない指導者たちから


国際的な事柄にイニシアティブを取るのを避けてきたかに見える事実から始めなければならない。1980年代に入ってさえ、日本の外交政策は政治的にも経済的にも全く腰が据わらず、言葉も考えも優柔不断で誰かの気に障りはしないかとびくびくしているという有様だった。それは世界大戦の敗者としては無理のないことかもしれない。しかし、西ドイツは日本ほどおとなしくはなかった。西ドイツもまた歴史の影を色濃く弾きづっており、他者に対して力をふるうのを躊躇していたが、それでも現実に見合った準大国としての態度をとってきた。自国の見解を明らかにし、自国を防衛するために大きな努力を払い、国際組織で十分な役割を果たしてきたのである。日本はそのどちらもしてこなかった。日本にとっては、慎重こそ最善の政策だと考えられてきたようだ。


もちろん当時の日本人は慢心していました。


しかし、バブルが崩壊しても20年前から何も変わっていません。問題を先延ばしにしてきただけです。


20年間、変わることができなくて、さらに、そのまま(平均して)年をとってしまった。今から日本が変わることを期待するのが間違いというものです。


外国人にここまで言い当てられるとびっくりします。そのまま進行している問題が多すぎますね。


読んでみてください。


日本を変えるには愚直に、小さな一歩一歩かもしれませんが、国民が自分の立場で自分にできることを考えて行動するしかないですね。