論語その①はじめに
いい時代になりました。
最近、『論語』を読んでいました。
今の時代、本屋さんへ行けば、文庫ですよ。文庫。
岩波文庫なら800円。
本当、いい時代になりました。
と今日、大学の購買の文庫の棚を眺めて、ふと思いました。
学生諸君よ。
趣味の雑誌を買うのもいいけれど、
仲間とサークル活動をすることも大切だけど、
バイトをして時間をお金に換えるのも必要だけど、
見聞を広めるために何十万もかけて海外に行くのも大事だけど、
出会うべき人物達がいるよ。ここに。こっちむいて。
1000円以下だよ。
古典を読みなさい。古典を。大学生のうちに。
時間とお金を投資するならここだろ。
大人になってからでは、そんな余裕も時間もないですよ。
僕は思います。
若い時に古典を読んでいるかいないかは地力に差が出るのではないかと。
若い時はどうしてもそれまでの環境と能力によって差が出る。
まず日本人というだけで世界の中でもずば抜けて環境が整っている。
そして親が素晴らしければ、その影響も大きい。
親が環境のほとんどを整えてくれている、サポートしてくれる。
勉強できる人はいい大学入れちゃうし、
スポーツできる人は全国大会出ちゃうし、
容姿のいい人はもてちゃう。
ここに精神論を絡める人もいるかもしれないけど、僕はただその人の環境と能力による部分が大きいと考えている。今は。
(日本だと)大学卒業くらいまでは親の力とその人本人の能力が大きい。
この議論は置いておいて笑。
さあ、そこから先が問題だ。
そこから結果を出し続ける人、本当の魅力をつけて人を引き付ける人は違う。
エリート環境にいた人だけの人でもなく、能力だけがずば抜けた人でもない。
『論語』を読んでいて、思うわけですよ。
いわゆるデキる人がもてはやされる今の時代。
仕事できて、趣味も充実していて、お洒落で、気が利く。なーんて人。
そんなデキる人たちを見ていて、人類は進化なんかしていないのではないか?と
少なくとも、人としては何にも変わらないじゃないの。
いやむしろ…何か見落としてないか?
いくらIT技術やマスメディアを駆使してたくさんの情報を得ても、発信できても、
世界中を飛び回って大きな仕事をしても、
たとえマネーゲームで大富豪になっても。
そんなもの。些細なこと。それ自体は幸せじゃない。
古典の時代に生きた人、今の時代に生きている人、どちらが幸せなのでしょうか?
『論語』中から伝えたい句をいくつか紹介します。何回かに分けます。
現代訳は僕の拡大解釈とか間違いの可能性大いにあり、怪しいと思ったら原文へ。笑
よろしくお願いします。
最初の句は特に自分への自戒も込めて、
論語 -学而- より(あて字あります)
曾子曰、吾日三省吾身、
為人謀而不忠乎、興朋友交言而不信乎
專不習乎。
曾子曰く、吾(わ)れ日に三たび吾が身を省(かえり)みる、
人の為(た)めに謀りて忠ならざるか、朋友と交りて信ならざるか
習わざるを伝うるか。
曾子(孔子の門人)は言った。
『私は日に何度も自らを省みる。他人のために真心でいる努力をできていたか
友人には誠実でいられたか、深く理解しないことを受け売りで人に教えてはいなかったかと』