Books Reveiw No.135 自省録

自省録 マルクス・アウレーリウス著 神谷美恵子訳 岩波文庫


自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)


訳者序より


プラトンは哲学者の手に政治を委ねることをもって理想としたが、この理想が史上ただ一回実現したことがある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった。


ローマ帝国の皇帝という地位にあって、多端な公務を忠実に果たしながら、彼の心は常に内に向かって沈潜し、哲学的模索を生命として生きていた。』


本書に書かれている内容は自己を啓発するのに役に立つというレベルでなく、『この言葉さえあれば生きていける』と考える人が居てもおかしくない。


僕が彼から一番教えてもらったことがあるとすれば、『何が起こったとしても、そのことに対して腹を立てるのは自然に対する離反であるということ。』


今回は四つだけ本書の内容から引用させていただく。


第五巻24から
『普遍的物質を記憶せよ。そのごく小さな一部分が君なのだ。また普遍的な時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬が君に割り当てられているのだ。さらに運命を記憶せよ。そのどんな小さな一部分が君であることか』


ここは読み方を間違えているかもしれないが、僕は、今研究している物質に力を注入しよう、今この研究している時間を大切にしよう、この研究に関われたことに感謝しようと思った。


第七巻27から
『存在しないものを既に存在するものと考えるな。それよりも現存するものの中から、もっともありがたいものを数えあげ、もしこれがなかったら、どんなにこれをおいもとめたであろうかということを、これに関して忘れぬようにせよ。しかし同時に、これをたのしむあまり重要視しすぎる習慣に陥り、そのためにこれがなくなったら気も顛倒してしまうようにならないように注意せよ。』


これはバランスが大事。


たとえば健康や家族や友人や恋人やお金や食べもの、なくなったらどんなに追い求めることか、でもそれを追い求め過ぎてもいけない。今に無くならないかと守りすぎてもいけない。


今一度、存在に感謝して、前に進む。


第十二巻25から
『主観を外に放り出せ、そうすれば君は助かる。誰が放り出すのを妨げるのだ』


ここは、僕は感情を判断の材料にしてはいけないと読んだ。(直観と主観は違うと僕は考えています。)


何事が自分の身に降りかかっても、起きたことに対して自分が何事か思っても、自分の主観である感情を判断の材料にしない。


なぜこれは起こったのか、如何に行動すべきかを理性的に考えて、次の手を打つ。


称賛を浴びても、批判を浴びても、そこから起こる感情に惑わされず、理性的にものを見てその状況で学ぶべきこと、やるべきことを考えよう。


逆に、褒めるのも、叱るのも自らの主観から起こる感情によって(そして自分のために)やってはいないか?考える。


そして、最後に


第十巻16から
『善い人間のあり方如何について論ずるのはいい加減で切り上げて、善い人間になったらどうだ』


よっしゃ!!張り切ってまいりましょう!!